Q1. 文学研究って,そもそも作品をじっくり読むことから始まるもの.それなのに,計算機を使うなんて,おかしい.なにか大切なものを見落としてない?


A1. 文学研究の本質に,なんら変わりはありません.計算機が考えたり,論文を書いたりするのではないのです.

表現研究に欠かせない「索引」

作品を読んでいて,あることばに目が留まったとします.「このことばには,何かあるかも」という,もやもやとした感覚.文学研究の醍醐味ですね.そこから,「この作品の中では他に出てないかな?」とか,「他の作品には出てないかな?」とか,視野を広げていきます.そこで使うのが「索引」です.もちろん,「他人が作った索引は当てにならない」と考えて,地道に作品を読んでいくという研究姿勢もあります.けれども,その作業も,結局は,自らの目的に大きくシフトした,自分好みの索引を作っていることに他なりません.また,「索引を読む」ことで,作品を読んだだけでは気付かなかった,興味深いことばに出会うこともあります.その場合も,前述の「もやもやとした感覚」は同じこと.研究の醍醐味に違いありません.つまり,この種の表現研究の場合,私たちは,自分の好きな索引という「ハサミ」でもって,作品に切り込み,その断片を収集し,並べ直して,論に組み上げているわけです.

計算機は「索引」の進化形

その「ハサミ」に当たるもののひとつが,ここで問題になっている計算機です.ある規則に当てはまる文字列を抽出せよと命ずれば,計算機は,もれなく,正確に用例を提示します.それをそのまま用例収集の結果として使う場合もあるでしょうし,また,その用例の羅列を「読む」ことで,今まで気付かなかった研究のきっかけを得る場合もあるでしょう.しかし,至極当然のことながら,その用例が意味するものを,計算機が理解しているわけではありません.目の前の用例をどう料理するか.ここから真の研究が始まります.

計算機がはじき出した用例に意味付けするのは人間

ですから,同じ用例の羅列を見ても,研究者が三人いれば,三様の見方,意味付けが生まれる可能性があるわけです.また,計算機にどのような規則性を与えて用例を収集させるか,といった「ハサミ」の種類は,それこそ無限にあると言っていいでしょう.もちろん,新しい「ハサミ」を案出するのは,人間です.つまり,用例収集に計算機を使ったとしても,用例を積み上げて意味付けをするという,伝統的で手堅い表現研究の方法と,本質的な違いは全くないのです.

計算機の導入で研究者の能力が問われることに……

ただ,索引のある作品が,索引のないものより,用例収集の利便性が高いのと同じように,計算機を使えば,欲しい用例が,短時間に,正確に手に入ります.したがって,従来は,用例の羅列だけで,研究をしているフリができたという面もあったようですが,その単純作業が,そっくりそのまま計算機に肩代わりされます.すると,研究者(人間)には,これまで以上に,鋭い着眼点や,思考力が要求されることになります.地道な用例収集だけでも,その努力が評価された時代があったようですが,これからは,研究者が,まさにその「能力」で陶太される時代なのです.