Q3. 計算機で自動的に和歌を作ってみるとおもしろいかも,なんて考えてる?


A3. 考えていません.

計算機に「心」はありません

日本語の仮名の数に限りがあり,また,和歌には音数律があるのですから,計算機を使って,自動的に5-7-5-7-7を作ることは,不可能ではないでしょう.しかし,そうしてできた文字列を,そのまま「和歌」と呼ぶことはできません.ある実感や感動をもとにして,5-7-5-7-7の表現をとったものが「和歌」だと考えると,「心」のない計算機に,「和歌」を作ることはできないといえます.

5-7-5-7-7に命を吹き込むのは人間

もっとも,計算機が作った5-7-5-7-7の中には,人の心を動かすものもあるでしょう.その場合,人が感動して初めて,単なる5-7-5-7-7が,「和歌」としての命を得るわけです.言い換えれば,計算機には「心」がありませんから,ある5-7-5-7-7に感動した享受者(読み手/聞き手)こそが,その5-7-5-7-7を和歌たらしめることになります.こう考えて,計算機が作り出した莫大な数の5-7-5-7-7から「和歌」を探し出そうという,新たな作歌法を想定する向きも少なくないようです.

しかしながら,「なにを,どのように表現していくか」という人間の感性に関わる問題を,計算機に肩代わりさせようというこの方法自体に,私たちは,それほど醍醐味を感じません.そんな方法をとるよりもむしろ,自分自身の感性を磨いた方が,歌を作る意味もあるというものでしょう.もちろん,どれほど優れた歌が発見(?)できたとしても,それは計算機が作ったことにはなりませんから,「機械の優秀性」を主張する根拠にはなり得ません.いかなる方法で歌を作るにしろ,人間の「心」が介在しなければ「和歌」ではないのです.

計算機を使って「創作する」のと「研究する」のとは違う

計算機で新たな歌を作ろうというのは,人間の感性を計算機に肩代わりさせようとすることです.そのことと,私たちが現在行なっている研究とは,全く一線を画しています.私たちの基本姿勢は,莫大な古典和歌データの中に,既に存在していながら,まだ私たちがもやもやとしか気付いていない,表現上の「何か」を,具体的に掘り起こすために,計算機を道具として使うということ.けっして,計算機に創造性を託すのではないのです.計算機に,感性なんてあるはずがないし,データの意味付けができるわけでもない.でも,私たち人間よりも,優れた面もあります.それは,莫大なデータの中から,ある条件にあてはまる用例を,短時間のうちに,正確に収集するということです.人間は,疲れて休みたくなったり,用例を見落としたりしますから.

古典和歌の世界には,「梅に鶯」「紅葉に鹿」といった,歌語の制約があります.ということは,現代人の私たちが気付きにくい,ことばづかいの決まりが他にもあるかもしれません.また,ある歌については,なにか作歌の手の内―たとえば本歌取り―が潜んでいる可能性もあるでしょう.こういった和歌は,特定の文字列の組み合わせが,パターンとして現れることが多いのです.ですから,古典和歌に目を通していくと,「こういうパターンの用例が拾えたら面白いな」という思いつきが,いろいろ浮かびます.

ところが,具体的な用例を,人手であまねく拾い出すのは,想像以上にたいへんです.そこで,その単純作業を,計算機に任せてしまおうというのです.これが,計算機を道具として使うということです.もちろん,計算機が出してきた用例の,最終的な取捨選択や意味付けをしていくのは,人間の仕事.このように,私たちは,人間が主体となり,計算機の長所を生かして研究を進めています.